出発点が違う

回想 Recollect
レディスサウナフロント(2000年頃撮影)

今日は 2019年3月7日です。

昨日ニュージャパンの中野憲一会長にお会いして、ずっと気になっていたことを聞いてみました。

気になっていたことというのは、「お迎えとお見送り」の話。

私が顧問コンサルタントとして毎月お邪魔していた当時、会議が終わったあとサウナや食事をよくご馳走になりました。

「では、そろそろ新幹線の最終の時間ですので…」ということで帰る際、当時の中野憲一社長や中野佳則副社長がなんばの駅まで送ってくれたのですが、その時「先生、お鞄をお持ちします。」と言って書類やパソコンが入った重たい鞄を奪い取られてしまうのです。

恐縮してお断りするのですが、聞き入れてくれません。そのまま一緒に改札まで行き、ようやく私は鞄を返してもらってご挨拶して、地下鉄の階段を下りていくのですが、その際も私の姿が見えなくなるまでずっとこちらを向いてニコニコと笑顔で見送ってくれるのです。

当時まだ30代だった私にとって、これは恐縮を通り越してとんでもないプレッシャーでもありました。とにかくこの仕事を全力で頑張るしかない、と自分を奮い立たせるほかありませんでした。

礼儀や挨拶が丁寧できちんとしている会社というのは少なくありませんが、ニュージャパン観光のトップの見送りは尋常ではありません。

最近になっても、何かの用でニュージャパン観光にお伺いすることが年に1、2度はあったのですが、その時もいつも同じでした。見送りだけでなく、約束の到着時間前にニュージャパンビルの玄関口に立って迎えてくれることもありました。

昨日もやはり中野好絵専務(憲一会長のお嬢様)が玄関口で待たれていました。

あまりのことに、ついに会長に「このお迎えやお見送りはニュージャパンのルールなのですか?接客テクニックなのですか?どうしてここまでやるのですか?」と聞いてみたのです。

最初は「いや、どこにお通しするかも決まっていなかったので、お迎えしてから考えようと…」などとはぐらかそうとしていたのですが、しつこく聞くうちにようやくポツポツと語ってくれました。

──ニュージャパンは戦前に飲食店からスタートし、戦後復興期には社交業(キャバレー)を展開していました。その頃は、女性が働いて生活費を稼げる場所としてキャバレーは重要な役割を担っていたのです。

当時のホステスさんたちを社会人としてきちんと育てたいという思いがあり、「点呼」(ニュージャパン用語で、開店前に従業員を集めて行うミーティング。朝礼のようなもの。)の際には、礼儀作法や接客7大用語などを繰り返し教えました。

教える側の幹部も自然と礼儀作法に厳しくなり、それがニュージャパン観光の社風として定着していったのです。お迎えやお見送りもそのひとつなのでしょう。

最近はその意味も薄れ、そこまで徹底できていませんが。──

この話を聞いて、ようやく長年の疑問が腑に落ちた気がしました。

「いらっしゃいませ」の発声やお辞儀の角度をいくらトレーニングしても、それが顧客満足度アップやリピート率アップ、つまりお客さまをもてなすためのテクニックとして教えている限りは、そこまで徹底できないでしょう。大抵の会社はそういうものだと思います。

しかし、そもそもの目的がお客さまのためというよりも、従業員を一人前の社会人にしていくため、ひとりひとりが生きる力を身に着けるためということだから、教える側も含めて全員が本気で身に着けようという強い思いで取り組み、それが企業体質として深く刻み込まれていったのでしょう。

(2019年3月6日執筆)

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