人が人を癒す

回想 Recollect
スチームバスセンター(1960年頃)

今日は 2019年3月8日です。

ニュージャパンサウナにまつわる思い出は尽きないのですが、前回の「お迎えとお見送り」以外にも、気になっていたことがまだあります。

そのひとつが日本のロウリュ発祥の地であり、日本のサウナの最高峰とも称賛されてきたSPA PLAZAが「トコロテン式」と呼ばれるワンウェイ型の店づくりになっていることです。

フロント受付でマッサージコースを選ぶ →ロッカーで脱衣 →足洗い 冷やしタオルを手に取り →サウナ。まずここまでが一方通行になっていて、水風呂、外気浴、その他の温浴設備は自由に利用できますが、浴室から出ると、休憩 →座りアカスリ →シャワー →拭き取り →ソファで休憩 →マッサージ →仕上げ(頭皮マッサージと整髪) →上階のラウンジでワンドリンクサービスまで、担当のセラピストと一緒にトコロテンが押し出されるように移動していくのです。

日本には数多くの温浴施設がありますが、ほとんどの温浴施設が館内を自由に動き回ることができる設計になっています。浴室を一度出ると再入浴不可であったり、別途料金の高級ゾーンといった制限のある施設はあっても、動線が一方通行になっている施設は見たことがありません(ドイツのフリードリッヒ浴場は順路があり、動線的にちょっと共通点がある施設でしたが)。

たくさんの人にSPA PLAZAを紹介してきましたが、皆さん「なんだこれは」と驚くばかりで、SPA PLAZAを模倣しようとか超えてやろうと考える人は一人もいませんでした。

誰も挑む気にすらならない最高峰がSPA PLAZAだったのです。

「あのトコロテン式はいったいどういう発想から生まれたのですか?」と中野憲一会長に聞いてみました。

すると、ここにも普通の温浴施設とはまったく違う出発点がありました。

──戦後、キャバレーを経営していましたが、キャバレーというのは非常に景気に左右されやすい商売で、ホステスさんたちの生活が安定しない。そこでもうひとつ女性が活躍できる別の事業の柱はないかと探していました。その時創業者が東京温泉でサウナ浴の素晴らしさを体験し、これだ!とアイデアを大阪に持ち帰ったのです。

そして1952年(昭和27年)、関西初のスチームバスセンターを開業しました。これはいわゆる箱蒸しと呼ばれる一人用タイプのサウナで、入店したお客様をご案内して、箱蒸しする間も額に流れる汗を拭いたり、飲み物を飲ませたりと女性がお世話をします。そしてアカスリやマッサージ。

セラピストが1対1で接遇し、順を追ってお客様を癒していくというサービスの流れがこの時出来上がったのです。──

そのサービスの流れを大きな箱でできるようにした業態がSPA PLAZAだったのです。

温浴施設とは、洗体と温浴機能を提供する大浴場を中心に、様々な付帯部門をつけ加えることで発展してきたビジネスです。

しかし、ニュージャパンサウナはそもそもの成り立ちが接遇であり一連のサービスの流れが商品。そのための手段としてサウナやマッサージがあったわけです。

ニュージャパンが温浴業界のリーディングカンパニーと言われながら、誰も追いつけない孤高の存在であり続けたのは、オオカミの群れを率いていたのはライオンだったというくらい、そもそもの種が違ったということなのかも知れません。

(2019年3月8日執筆)

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