ニュージャパンサウナとの出会い

回想 Recollect
エントランスから見たカバーナフロント(2001年頃)

 前職の株式会社船井総合研究所に在籍中、1996年頃から温浴施設のコンサルティングを手がけるようになりました。

温浴業界向けのセミナーを企画し、はじめて東京で開催したところ大盛況だったため、調子に乗って2回目のセミナーを大阪で開催しました。

その時の参加者名簿に、「ニュージャパン観光」の名前がありました。

以前からニュージャパンサウナの名前は耳にしており、業界の大重鎮企業が私ごとき若輩者のセミナーに参加してくれたことに感激しつつ、ご挨拶と御礼を兼ねて、大阪難波にある会社を訪問しました。

そこで初めて体験させてもらったニュージャパンサウナは、私がそれまで知っていた温浴施設とはまったく別次元。

参考にするというようなレベルではなく、ちょっと調査したくらいでは到底追いつけないだろうという「格」の違いを見せつけられました。

私がセミナーで講演したようなことはとっくにやってきているだろうし、もっと遥に先を行っている。それでも貪欲に勉強しようということですから、頭が下がります。

若い時はというのは怖いもの知らずですから、あわよくば温浴業界のトップ企業からコンサルティングの仕事を受注しようという考えもなくはなかったのですが、そんな下心は一気に消し飛びました。
そして、当時の中野憲一社長や中野佳則副社長との面談となった時、私の口から出た言葉はあろうことか、
「温浴業界発展のために、ニュージャパンの顧問として勉強させてください」
でした(汗)。

顧問料を貰いながら勉強させろとは、今考えると信じられないくらい図々しい申し出なのですが、不思議なことにニュージャパン観光はそんな私を快く受け入れ顧問契約に応じてくれたのです。

この出来事がなければ、その後温浴コンサルタントとして20年以上も仕事を続けることはなかっただろうと思います。

この日以来、長きにわたって、ニュージャパン観光の顧問を務めさせていただきました。毎月訪問して店舗を拝見し、経営陣や幹部のみなさんとのディープな会議を繰り返しました。

そこで学んだノウハウやニュージャパンイムズとでも言うべき理念が、私の温浴コンサルティングの礎となりました。

それから日本中で温浴施設の新規開業やリニューアル、経営改善のお手伝いをしてきましたので、今でもニュージャパンイムズは形を変えながら全国の温浴施設に脈々と息づいています。

一緒に仕事をした温浴チームの後輩たちの中にも温浴業界で活躍する人が何人もいます。

当時ニュージャパンを筆頭に全国で数施設でしか実施していなかったロウリュサービスは、今では全国に200施設を越える勢いとなり、「ロウリュ」は多くの人が知る言葉となりました。

時代の移り変わりとともに、情報や設備は古くなっていきます。それは避けられないことです。

けれども、思いや哲学は時代を超えていつまでも生き続け、伝搬していきます。

振り返ってみると、私のやっている仕事はニュージャパンイムズを日本の温浴文化に刻み、後世に残すということなのかも知れません。

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